博多人形作家 田中勇気 博多人形工房

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博多人形の歴史


博多人形の起源

博多人形の起源をネットで検索すると、大きく分けて正木宗七起源説と中ノ子吉兵衛説が出てくると思います。

実際、博多人形の世界で一番の有名人、小島与一さんの自伝でも「もともと博多人形は、祇園町の住人で素焼き物製造の陶工、中ノ子安兵衛の次男、吉兵衛が、文化年間に、一種の土俗素焼の玩具人形をこさえたのが起こりだというのが定説のようであります。
慶長六年、黒田長政が福岡城を築いた折、瓦師正木宗七が、瓦土で人形を作って献上したのが博多人形のはじめという説がありますが、わたくしにはよくわかりません。」
(人形と共に六十五年 小島与一伝)

とあります、与一さんによくわからない事が僕に分かるはずもなく(笑)

しかし博多人形の史実を紐解くと、どうやら今の博多人形の姿とは明治以降に出来あがったもので、起源は正木、中ノ子にあるとしてもその姿は今現在、僕ら博多人形師が製作している物とは大きく異なっていた事は確かなようです。

「玩具」から「美術品」へ

明治以降の博多人形界で、恐らくですが、最も大きな役割を果たしたのは白水六三郎を中心とする「温故会」ではなかろうかと思います。

この会では南画家の上田鉄耕氏の自宅で定例会を開き、批評を仰いでいたり、洋画家の矢田一嘯氏から人体骨格や筋肉の構造、絵の具の溶解法など近代(西洋)美術の手ほどきを受けています。

また、大正期になると京都帝国大学福岡医科大学(後の九州大学)の桜井恒次郎教授から解剖学の講義を受ける、博多出身の彫刻家、山崎朝雲や朝倉文夫からも指導を受けていたそうです。うらやましい…

この様に、近代の博多人形は玩具からの脱却、そして美術品への昇華、これを目標に人形師達はあれやこれやと試行錯誤していたことが分かります。

パリ万国博覧会で小島与一が銀牌を受賞!

その努力が結実した博多人形の歴史の中でも最も輝かしい実績と言えば、大正十一年のパリ万国博覧会で小島与一が「三人舞妓」を出品し銀牌を受賞した事でしょう。

現在、三人舞妓は中洲の入り口、福博であい橋の袂でブロンズ像となり、博多っ子から今も愛されています。

今から94年も前に作られた人形が未だにこうやって形を残し、人々から記憶されている、ロマンですね。

そしてその後といえば、博多人形は無数の人形師達と産業を支える関係者の努力によって人形としては初めて伝統的工芸品の指定を受けるなど、その名声は今や世界にまで聞こえています。

続きはブログで更新中!

ここで紹介したのは本当にごくごく一部の歴史に過ぎません。
なので、ここから先は僕のブログで趣味として、博多人形の歴史、事件や逸話などを報告できればと思います。 興味がある人がどれくらいいるかはあまり考えずに細々とご報告できればなと思っています。

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